どこかに行きたい心理を定年した私の立場で考えてみました。
- ①:時間に余裕ができて気分が新たになった。
②:毎日が日曜日の暇のもてあまし
③:どっかに行くと実際はその後どうなる?
などについて、私の思いや感想などを書いてみます。
どこかに行きたい気持ちの心理を考えてみる
「どこかに来たい心理」
は以下のような心理的な原因があるようですね。
確かに・・と納得することばかりです。
- ①:日常からの逃避欲求
②:冒険と探求の欲求:
③:自己実現と成長
④:ストレス軽減とリラクゼーション
⑤:社会的関係の構築
⑥:日常のモノトニーからの脱却
自分にあてはめると、これまでの自分にはどれが一番当てはまる?
順番をつけるなら
- ①:日常からの逃避欲求
②:ストレス軽減とリラクゼーション
③:日常のモノトニーからの脱却
社会てて関係の構築は、ちょっと私にはなさそうです。
主に上の三つ。
定年前の上の三つの要因の考え方と現実
確かに・・
- ①:日常からの逃避欲求
②:ストレス軽減とリラクゼーション
③:日常のモノトニーからの脱却
これはあったのですが、んなこと言ったって、現実は甘くありませんよね~~
「日常からの逃避」
などしようものなら、一気に生活の危機で一家の長たる自分が働かなければ、家族全員がどうなる?
そう思ったら
「会社行こう・・」
が現実。
仕事しながらよく言う会話。
「こんな天気がいいのに、仕事なんてしてられっか!」
とはいうものの
「打ち合わせは何時だっけ?」
と、いいながら資料作りに没頭。
こういうサラリーマン時代。
日常のモノトニーからの脱却なんて、思っても現実はそれどころではないんだな。
唯一、救われるのは私の場合は趣味の世界。
カメラやちょっとした休日のお出かけ。
それも一人はほとんど叶わず。
皆さんは如何ですか?
定年後に上の三つの要因はどう変化した?
定年後、まだそんなに日が経ってないが・・
世の中がひっくり返ったような印象。
なにせ・・
毎日が日曜日。
もう何回どっか行ったかなあ~~(笑
明日天気いいな~~
んなら、あそこはどうだ?
日本三景だし、気温も高くて暖かそうだ。
よし、行ってこよう。
今度の週末は
「トクトク切符」
で盛岡にどうだ?
ちょっと寒いけど、まあ雪は降らなさそうだし。
要はいつでもOK.
気になるのはお天気だけだ。
またまたその三つの要因。
- ①:日常からの逃避欲求
②:ストレス軽減とリラクゼーション
③:日常のモノトニーからの脱却
この価値が、だいぶ安くなったな~~と感じるんだっけな。
が・・「どっか行きたい気分」
は健在だ。
これからどんどんどっかに行く。
「俺の勝手だ・・文句あっか?」
という今の気分。
定年前と定年後のどっか行きたい気分の比較
「どこかに行きたい気分」
の比較。
①:定年前:
思いは強い。しかし現実問題それは無理だった。
②:定年後:
思いはほぼ同じも、いつでもどこかに行ける時間的余裕がある。
現実問題気になるのは
③:天気
④:金銭的な問題
のみ。
時間は気にならない・・ってかいつでも行ける。
毎日が日曜日だから。
が・・農業が始まったら、少しは制約を受けるな。
- ⑤:米:ひとめぼれ
⑥:野菜:産直
が始まるオンシーズンはちょっとはいそがすい
特に春と秋は結構忙しいかも。
合間を縫って、どこに行くど~~と言う気持ちだな。
どこかに行きたいと思えばいつでも行けるのが定年後の自分
一般的に、定年後のどこかに行きたいという欲求は
・新たな自由と可能性
を象徴しているんだとか。。・
確かに。
世の中がまるで変ったような気持ちです・・わたしは。
- ①:新たな自由の感覚
②:探求と冒険への欲求
③:人生の第二幕
④:社会的絆の強化
⑤:心身のリフレッシュ
こんな項目の変化が期待できるんだそうな。
この中で自分が最も感じるのは以下の三つ
- ①:新たな自由の感覚
③:人生の第二幕
⑤:心身のリフレッシュ
この三つは特に感じるな~~
定年して「仕事」から解放されて、時間的制約からの解放。
これが一番大きいですね。
次が第二幕が定年後。
私の感覚では、ここでいったん人生がリセットされて、すべてが新しく再スタート。
そんな印象です。
が・・自分の経験は生きてますから、それを活用していける。
素晴らしいことだと。
心身のリフレッシュには
「どっか行く」
ことは、見分を広げますし、心のリフレッシュにもつながりとてもいいことだと思います。
どっかに行きたい気持ちの価値が下がった?
定年後にいつでも行けるので
「どっか行きたい気持ち」
の価値が下がった?
う~~ん
これどうでしょうか?
以下のようにまとめてみました。
①:価値の変化ではなく、価値の変容:
定年後にいつでもどこかに行けることは、その思いの
・価値の低下
というよりは
・価値の種類が変わる
ことを意味するのかも。
制約が少なくなることで、どこかに行きたい(旅行)はより
・自発的で自由
な選択になると考えます。
②:新たな機会としての価値:
「いつでも行ける」
という状況は、新しい
・趣味
・興味を探求する機会
としての価値があります。
時間的な制約が少なくなることで
・より深く
・豊かな体験
が可能になりとても楽しみが増えます。
③:自由の享受:
定年後の自由(時間的な)は、人生の新たな段階を楽しむという点で高い価値を持ちます。
概ねこれは
・自己実現
・人生の再評価
の機会を提供します。
④:日常からの脱却:
いつでも「どこかに行ける」状況は、日常生活のルーチンからの脱却を意味し
・心身のリフレッシュ
・リラクゼーション
に役立ちます。
他には、社会的な価値も含まれますが、私の場合は個人としての単独行動が主なので、複数行動は極端に少ないので割愛します。
総じて、定年後に
「いつでも行ける」
という状況は、その思い(感情)の価値を低下させるというよりは
「異なる種類の価値を提供する」
と考えることができます。
この意味をは、個人がその自由と機会をどのように捉え、活用するかだべな~~と。
しかしながら、定年後の人生は、
・新しい可能性
・自由を最大限に活用するチャンス
であることは、間違いがなさそうです。
どのように価値あるものにするかは、個々人の活用の仕方かと。
勿論、そんなことなど考えない方も多くいらっしゃると思います。
ただ、私個人はできるだけ活用して、個人として充実した人生を送りたいと思ってるだけ。
どこかに行きたいと思っていったとの気分:空虚な気持ちは何だ?
何度か定年後「どこかにいきたい」気分で行ってみて、たま~~に行った後
「空虚な気持ち」
になるときがあるんだっけな~
思えば、定年前にも勇んでいったものの(数少ないチャンスに)、いった後の
「空虚な気持ち」
これは何だ?
と言うことで、この要因を分析してみました。
概ねこういうことかな~~と。
期待と現実のギャップや達成感が原因?
以下のような要因があろうかと。
①:期待と現実のギャップ
一言で言うと期待外れ。
②:アンチクライマックス
期待と興奮が終わったことの虚無感
③:自己探求と再評価の必要性
一時的には満足も必ずしも自分の欲求を満足していない気分が要因。
④:目標達成後の虚無感
素晴らしかったのだが‥期待通りなのだが‥目標は達成した後の気分。
などなど。
これ考えると、人間って本当に勝手気ままなもんだな~~と感じます。
欲求って、どんどんエスカレートしていくもんだから、仕方がないのかな・・多分。
どこかに行きたい気持ちの変化:感想
「どこかに行きたい」:
この感情は、おそらくですが誰もが持ってる感情かと。
現実からの逃避や、新しいことの発見や、日常からの変化を求める気持ちなど、誰もが感じることかと。
では、定年後にこの気持ちと向き合うには?
以下のようなことを感じました。
- ①:現実的な期待
②:深い自己理解
③:新たな生活の探索
④:日常の価値の再発見
この四つの要素をよく理解して
・期待
・現実
のバランスを心がけていくことが大事かと。
「どこかに行きたい」
と言う気持ちは、概ね
・自己の内面的な探求
・自己発見の機会
が主な要因かと。
これをまずは理解しようかと思います。
日常の価値の再発見にもつながっていくような気がするんだな。
毎日が日曜日でも、時間の過ごし方には節度をもって自分らしく過ごしていきたいと思うんだっけな~
- ・朝は6時に起床
・犬の散歩とご飯は自分
・午前中は農作業(ただし3月下旬~11月まで)
・合間を見て天気次第でどこかに行く
このパターンは最低限だな。
定年人生・・皆さんは如何ですか?
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*ヘッダーの写真はこの間盛岡に行ったときの駅からの岩手山を撮影した写真です。
*挿入写真はすべて私の撮影です。